万歳三唱はいかがなものか
過去に何度か書いてきた大相撲。
日本出身力士が優勝しない大相撲に未来はあるのか、と常々思っているのは間違いないのだが、だからと言って、稀勢の里が白鵬に勝った時の「万歳三唱」にはガッカリした。
白鵬や日馬富士といった外国人力士がいなかったら、彼らが横綱として君臨してくれていなければ、大相撲なんてこの世に存在していなかったのだよ。彼らが強い横綱でいてくれているからこそ、まだ大相撲が存在している訳で。
いくら日本出身力士に頑張って欲しいからと言って、あの場面で、しかも会場中で万歳三唱とは、ガッカリだな。座布団投げるのも品が良いとは言えないが、あの万歳は酷い。
白鵬が負けたことに対する万歳だったとしても、稀勢の里が勝ったことに対する万歳だったとしても、どちらにしても、あの場でやることじゃない。
ああいうファンしか集まらないのであれば、ショーとして株式会社でやって欲しい。プロレスと一緒だ。プロレスをバカにしているのではなく、相撲とプロレスでは、本来立ち位置が違うはずなのだが、今となっては同じ土俵で勝負しているように見える、という話。
ただでさえ存続の危機なのだから、見る側の品位も含めて格式を守って欲しいな、その気があるなら。
万歳して良いのは、カープが点を取った時、勝ったときだけだぞ。